1%の風景
4月12日に
交野市の「産巣日」にて『1%の風景』の上映会に参加してきました。
一言で言いたいところですが一言では表せない。
いろんな感情がぐるぐると駆け巡りました。
わたしは第1子は12年前に産院で出産し、第2子は9年前に院内助産で出産。
そして5年前に第3子を助産院で出産。
第1子の時は本当に自分本位で、未知の世界に何も準備ができないままだったなぁと今は振り返ることができます。そして産院で医療的介入が先行した出産で、心身ともにボロボロでした。印象に残ったのは「産んだというよりも産まされた」という感覚。
第2子の時には主体的にお産をしてみたいと考えるようになりましたが、まだまだ産むことへの恐怖や不安がある中で院内助産という方法なら安心かなと思い施設を選びました。
しかし、院内助産とはいえ分娩監視装置や点滴などの介入はあり、コードやチューブにつながれた状態での出産は「動きづらい」という不快感を生んでました。しかし、赤ちゃんをキャッチしたいとか臍帯を切りたいとか自分がやってみたかったことが叶えられたという意味では
非常に楽しい出産だったなぁと思います。
そして第3子では“もしかしたら産むの最後かもしれん”という思いが妊娠初期から常にあり、
それなら自分が体験したいことにチャレンジしようと助産院で出産することにしました。
妊婦健診はとにかくいろんなことを話す話す。もちろん計測やエコーや不快症状に対しての保健指導もありますが、そんなことよりも子どもらは保育園どうなんとか、時には先生たちの家族の話とか本当に「人と人」。産むときはいつもの助産師さんと慣れた空間。そら、落ち着くわよね。緊張とかなかったわ、マジで。陣痛中も助産師さんたちは見事に静かにずっと寄り添ってくれて、時々雑誌を手にとって「こんなごはん作ってみたいよね」とか言って。周りには夫や子どもたちがうろうろしてて、とにかくその時間は全く特別なものではなく、いつもの空間。
よくよく考えれば自分の好きな音楽聴いたり、アロマ焚いたり、足浴したりとか産院では分娩進行を促進するために様々なことにトライするんやけど、きっとアレかなり特別感あるよね。もちろん科学的根拠と共に助産師さんたちは実施してるんやけど、陣痛中に子どもたちの声を聴きながら、自分が普段よく身に着けてる服やタオルに包まれて、誰かがずっとわたしの足や腰や背中をさすってくれている。その時にふと思ったことは「そうか、これがリラックスなのだ」ということ。すごい腑に落ちたのですよ。
そのようなことを助産院という場所では実現しやすいということが、1%という灯火を絶やさない理由なのかもしれません。
現代は科学的根拠がなければ嘘だと言われて、
時にはそれをスピリチュアルという表現で片づけてしまおうとします。
しかしながら、科学的根拠として証明されていることは信頼性があれども
そこにフォーカスしすぎると物事の本質は失われることがある。
産むということも生まれるということも偶然のようで必然だから、
そのことをありのままに受け入れることも
出産というものを通したライフイベントの課題でもあると思います。
そしてその課題に取り組む過程に寄り添うのが助産師だということなのかと思ったりして。
課題に取り組むのは、産む人と生まれる人。
このことを大切にしてくれる助産師をわたしはいつまでも応援しています。
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